起業奮闘記 もくじ
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八重山を経て沖縄本島にて (移住後会社設立そして失敗)
色々あって、沖縄は八重山郡小浜島から始まり、沖縄本島は那覇の北、浦添市の住民となった
私です。
1998年7月、その時、「俺はやっぱり自分でなにかやりたいんだ」シンドロームに懸かりまして
やっちまいました。
ヤマト運輸様への辞表提出、社長ごめんなさい、部長ごめんなさい、皆さんごめんなさい。
成功して笑って話せる立場に絶対絶対育ちますから!!!
1998年9月15日、沖縄ヤマト運輸を一身上の理由により退社とあいなったわけでございます。
ネタは考えていた、どうやって実現すればいいか、どうやればネタを金に出来るのか、
暗中模索、なにも見えていなかった。
夢は世界征服。 世界中に自分の商品が広まることを目指してのネタ創り。
特許は?特許になるのか?いくらかかるのか?自分で書けるのか?明細書。
実は、特許明細書を自分で書いてしまったのでした。初の特許申請。
弁理士なる職業の人がそれなりにいいお金を貰って書いているという特許明細書。
要点は、○○をどのように工夫すると△のような効果が現れる、これは新しく斬新で云々。
の様に書けばいいのだけれど、なかなか難しいものではある。
申請は、平成11年1月4日 申請番号は 特願11-504
初日で504番目かぁ、皆さんそれぞれに特許ネタ探しに必死なのが伺えるよね。
当時自分なりに見つけた個人事業主の交流会「琉風会」これに参加してました。
毎月定例会が行われ、事業をどうにかしてみたい有志が、あーでもないこーでもないと
話し合い、仕事のモチベーションを上げるといった集会でしょうか。
今でもたまに会の主宰と連絡を取らせていただいております。
しかし、そこでも自分で会社をどう運営するとか、どう起業の階段を上るべきかとか
勉強しなければならない事があるのに、勉強しなかったという失態があるのです。
1999年7月になんと、「株式会社デジック」なる会社を立ち上げております。
しかしですね、販売する物が無いんです。開発する物だけあって。
今だから声を大にして言えます。
「商売は、売ってなんぼ!」
です。
会社を運営するには、売れる商品があり、運営する資金を生み出さなければなりません。
どこからお金が沸いて出てくるのでしょうか、そんな都合の良い話はありません。
お金は会社を興した自分、会社で営業する社員、皆が金になる仕事をしなければ、会社運営
なんてもの、成り立つわけがありません。
特許をネタにした「株式会社デジック」も「創造法」「新規事業貸付」等の支援を受け更には、
発明くふう展の「県知事優秀賞」まで戴きながらも11月には事実上の倒産となるのでした。
売る物も無いのに、事務所・従業員・それだけで潰れるの当たり前です。
結局残ったのは、約3000万円の負債、返済出来ないっちゅーの。
借りた責任だってある。安易に会社運営なんかするもんじゃない。
でも、夢はある。どうにかしたい、頭の中はそれでもなにかを、なのです。
勉強不足であったと後悔しても既に遅い。
ならば、これを公開することで、同じ境遇に陥る後輩を減らそうではないか。といった意味での
奮闘記掲載です。
正直、こんなアホらしい失敗しないで成長出来た人から見れば、単なる恥です。
しかし、数ある起業の中でも僅かにしか残らない現状、似たような会社を興してしまった方
いませんか?
それから3年、ひっそりとじっくりと、地中でのおとなしめの起業生活を過ごすのでした。
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