起業奮闘記 もくじ
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競輪選手(社会人デビュー)
在校24位(105人中)、オーケストラだったのにここまでやれれば上等じゃん。
勘違いしたまんま呑気にデビューした昭和59年5月、プロの世界、そりゃビビリましてぶーですわ。
もう、大勢の前で試合するんですよ、観客がいっぱい入っている競輪場なんかだと
2万人とかの群集の前で、おいらの健脚をご披露しなければならないのですよ。
当初、ビビッてビビってなにがなんだか。
私も一応は、小心者だったはず、なんですけどね。はず、 ね。
勘違いが、練習しないぐうたらプロを作り、そこそこ並の選手としての5年間、それは
第一次晴れ男バブル時代とでもいいましょうか。
そこそこ並の選手してても1200万くらいの年収が稼げるんですね、いい職業です。
ただし、この稼いだ金の使い道をきちんと考えている選手のまじめな話を伺った
経験は・・選手生活5年間の中では、あまりなかったです。
で、あまりに並の普通の選手として5年を過ごしたので、それといったエピソードも
無く、辞めたいきっかけを語るに留まるのが選手時代のお話となります。
そこそこ並の選手で、決勝戦にもたまに乗り、新聞にもたまに載り、安穏と暮らして
いたのですが、大きめの事故を3度経験してます。
1度目
奈良競輪場での脳挫傷
発走5分間にシューズの紐を縛っている事までしか覚えてませんでした。今でも記憶はありません。
これって、 死にますよね。 オートバイ事故での死因が脳挫傷って新聞で見た時、
恐怖でした。命懸けているんだって実感が。
1月7日から2月中旬までの入院生活でした。
21歳の誕生日も入院中
2度目
前橋競輪場で肩鎖関節脱臼
全治2ヶ月、これは正直骨折より痛いです。
ぽっきり折れてしまった方がなんとかしようがあるってもんです。
しかも、骨折1ヶ月に比べ、痛みが引くまで2ヶ月かかります。
ジンジンと痛かった。
3度目
武雄競輪場で鎖骨骨折
最終3コーナー、先行中に捲くられたが、飛びつき踏みなおししたら、そこは平らな場所だった。
気がつくと芝生の上で寝ていて、担架に乗せられながら肩の痛さがジンジン
手術を嫌い、ギブスで過ごしたのが仇となり、今でもつっこんだ形で変形した鎖骨が私の勲章
となっております。
22歳の頃だったかも
さてさて、命懸けの選手であるが、命懸けても1000万円。
そんな時、社長さんを紹介するテレビ番組を何気に見ていて思った事が。
やっぱり俺もネタで社長しよう、億を稼ぐのに別の事をしよう、1千万に未練は無い、億のビジネスはどうやったら出来るだろう。
それと同時に、新婚旅行で行ったハワイの風景やら空気が忘れられず、新天地は南の島で誰も身寄りの無い場所で、そこから這い上がれれば、俺はなんとか出来る人間だろう。
ハワイがいいか、グアムがいいか、沖縄がいいか、色々考えていました。
結婚している、子供も生まれる、外国は・・・
自分でも不安がある、沖縄なら日本語が通じる。
新設のホテルの広告がダイビング雑誌にて目に留まり、早速面接をしたのが9月
下見に出かけたのが翌年2月
いよいよ沖縄県八重山郡小浜島に引越ししたのが4月でした。これ以降は移住記を参照してください。
そうそう、「競輪選手」だって立派な個人事業主なのですね、青色申告ってのを5回くらいしてます。
事業主というものを金銭のなんたら・・ですが・・お金の知識は付かなかったあまちゃん晴れ男です。
まぁ、経費やらなにやら他の人よりは意識できたのでよしかなぁ。
税務署が怖い場所でもないと理解したしね(=^_^=) ヘヘヘ |