八重山のホテルに就職




沖縄移住記もくじ

何故引っ越した?
   移住へのきっかけ


移住初期1年目
   八重山リゾート


ホテルから黒猫へ
   転職1回目


石垣島の生活
   平成5年〜10年

 晴れ男は、ホテルに就職という形で移住をしたのですが、引っ越しの費用
37万円のうち20万円は会社が負担で、結構楽をしました。
 就職にあたっての不安は、ほとんど無くて、持論の「やってできないことは無い
の精神から、とりあえずチャレンジの日々でした。

 ホテルは当初平成3年10月頃オープンされていたはずなのだけれど、
晴れ男の移住した平成4年4月でも未だに完成していなかった。
 最初の仕事は土方のような仕事が殆どで、ホテルを作るって事。
工事会社には、建物を建ててもらって、従業員は、植栽活動をする。
日に焼けて健康的なお仕事だった。

 6月になり、いよいよオープンできる日が来た。
ヘリコプターを飛ばし、結構立派なグランドオープンセレモニーだったが、
晴れ男はこの時すでに、このホテルでの失敗を感じていたのを覚えている。
 なぜならば、お客様に提供しようというサービスの質に見合っただけの
人員が確保できていないではないか、我がホテルは決してセルフサービスの
リゾートではなかったはずで、何でも揃う、何でも出来るホテルを造るはず
だったはずなのに。
 当時のおいらは、小浜島に永住も考えていたほどでもあったのだが。

 晴れ男はこの小浜島でムカデに刺されています。
 小浜島では、周囲16kmの島内で3回の引っ越しをしています。
 最初は、ホテルのコテージに住みました。超豪華2LDKのstay用
のコテージはきれいで言うこと無しでした。
 でも、ここはお客様用なので、次に小浜島の港にある貸し家に入りました。
ここは、お隣のホテルのダイビング用品なんかの倉庫の2Fで2LDKって
造りなのかなあ、うーん変な間取りでしたが。ここでムカデに刺されました。
 時は忘れもしないバルセロナオリンピックの開会式の最中です。夜中何時だ
ったろうか、背中に激痛が走り、手を回して激痛の原因を探ると、手にムカデ
が巻き付いてきた。あわてて、振り払い、部屋の電気をつけて、奴を捜し、
めちゃくちゃにつぶしてやった。隣には娘(7カ月)が寝ていた。刺された
のがおいらでよかった。
 妻も何事かと目を覚まし、背中の刺された後を絞り出してくれて、軟膏を
塗ってくれた。そのときTVをつけるとちょうどバルセロナオリンピックの
開会式の聖火が灯る時で、クライマックスの瞬間だった。ああ、こんな形で
見るとは、うーん。
 ずきんずきんと痛みが走り、ああ、起きても痛かったら、会社休もうって
思って寝ていました。(朝起きると直ってました。処置が良かったみたい)
 3件目の家は、またコテージに逆戻りです。理由は、経営が苦しいので
社宅は自前で、ってことです。他に借りると支払いがそれだけ増えるけど、
コテージは自前だから、家賃を少しでも取れば収入になるってことです。
 結局ここが一番長くすんでいました。結構豪華な造りでいい生活しました。
 ある人がこれを読んだら怒るかもしれないけど、ヤシガニを捕った時は、
みんなでヤシガニパーティーなんかしたり、誰かの誕生日には、どこかの
コテージでパーティーしたり、って他にやることがなかったのか、ああ。

 ホテルの仕事の話しましょうね。
 晴れ男の最初の配置は料飲部門のスタッフだった。
昼はプールサイドのリップルハットって小さな軽食喫茶件バーで
夜はカーサペトレアっていう居酒屋での勤務である。
 リップルハットはとにかく暇で、日中から、カクテルのレシピの勉強を
していたものだ。
 カーサぺトレアに至っては、島のニイニイが遊びに来ることの方が多くて
なんだかそれはそれで楽しかった。
 ここでも、カクテルのレシピの練習とか勉強をして日時が過ぎていった。

 8月にオープニングの手伝いの人たちが帰っていった時、自分に辞令が
おりていて、なぜか喫茶課長の肩書きを戴いていた・・・。
 でもね、課長らしい仕事なんてほんの少しも無くて、なんで役がついたのか
今でも疑問の不思議なのです。

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